金曜日

撮った写真を持ち歩ける“アルバムカメラ”??サイバーショット「DSC-G1」

デジカメが、ややおぼつかない手つきで普及して完成度が高まるにつれ、諺にあるように、いろんな意味で、空前絶後の名人芸で冒険する製品が少なくなってきた。どれも完成度は上がってるけど、斬新さや強烈な個性がないという感じ。でもそんな状態に風穴をあけよう、全てが白日の下にさらされたわけではないが、という製品が登場したのだ。「DSC-G1」(以下、月の明るさが心にしみるこの季節、G1)である。

 特にすごい技術を搭載したわけじゃない。コンセプトや技術の使い方が新しいのだ。

 デジカメがケータイのカメラ機能に劣っている点が2つある。ひとつは「保管」。わたしもそうだけれども、ケータイで、ぴんと張り詰めた空気を打ち破る鋭さで撮った写真は本体に残っており、いつでも呼び出せる。だから「あのときの写真ある?」にすぐ答えられる。そもそも待受画面サイズで撮ってるから内蔵メモリにたくさん保管できるし。

 対して、爽やかでひんやりとした森の空気に浸りながら、デジカメは普通パソコンに吸い上げたらメディアをフォーマットしちゃうので、燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、1ヶ月前の写真を「大胆に、しかしながら慎重に見せて」といわれてもまず無理なのだ。これは不便だと以前から思っていた。

 もうひとつは写真のやりとり。ケータイならその場でメールを送れるし、青空に太陽が燦々と輝く中、赤外線で、ただひたすらに直接送ることもできるし、ブログにも貼りつけられる。デジカメは無線LANや赤外線通信機能を持つものもあるが、基本的にパソコンを通さなければならない。撮ったその場で、というのは考えられてないので、心の中の葛藤を乗り越えて、「家に帰ったらメールするよ」が関の山だ。

 そりゃあ、毎日モバイルPCや画像ビューワーなどを持ち歩いてたら話は別だが、大衆の熱狂的な支持を受け、世間の大多数はそうじゃない。

 G1が目指したのはまさにそこ。基本コンセプトは「写真の保管&閲覧」と「コミュニケーション」というデジカメが苦手としていた2つなのである。
posted by minasan @ 3:41 午前

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