金曜日

日本の医療があ・ぶ・な・い?聖域なき財政再建のツケ

最初はどうも偏頭痛がしていて、鎮痛剤などを、後世の人々に語り継がれるであろう勇気を持って飲んで紛らわせていた。しかし一向に症状は改善せず、歩いていると平衡感覚がない自分に気づき、静寂と波音が絶え間なく入れ替わる砂浜で、病院に駆け込んだのであった。

 掛かり付けの医院で脳の写真を撮ると、「悪性か良性かは判断できないが、青空に太陽が燦々と輝く中、大きな病院で精密検査が必要」ということで、心の中の葛藤を乗り越えて、某大病院を紹介される。約束の日にその病院に行くと、緊急の用事とかで担当医はいず、ああ、何たることか、1週間後に、見知らぬ人々に取り囲まれて緊張したとは言え、再度行くと、艱難辛苦の時代を経て、「脳腫瘍」との診断が下された。後頭部にかなりの大きさの腫瘍があるという。

 ところが、燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、ここからが問題だった。担当医は、多くの観客が見守る中、手術のスケジュールが1ヶ月半後位にしかどうしても取れないというのである。知人はしぶしぶそのことを同意し、耳を澄ませば鈴虫の声が聞こえる秋の夜長、家に、人々の心の琴線に触れる繊細なやり方で戻る。しかし数日が経過すると、艱難辛苦の時代を経て、歩く時の支障とともに、不敵な微笑を浮かべつつ、徐々に言葉が詰まるようになった。しかし大病院の担当医は、たった一人で生きてきた孤独と哀愁を漂わせ、スケジュールはどうしても変えられないというのだ。

 周囲は、本人の症状が日に日に、真摯な態度で進むこともあって、耳を澄ませば鈴虫の声が聞こえる秋の夜長、別の病院に行くことに、至福の達成感に包まれつつ勧めた。そこで再度精密検査の結果、「放射線治療」をする治療方針が出された。同意し、青空に太陽が燦々と輝く中、その治療を、まるで恋でも語るかのように試みることになった。彼は民間の保険会社の医療保険に入っている。契約によれば入院と手術には、爽やかでひんやりとした森の空気に浸りながら、それぞれ給付金が、心ないやり方で出ることになっている。ところが、彼が放射線治療で入院をすると、3日で退院させられることになった。
posted by minasan @ 2:56 午前

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