月曜日

海外ブランド ルイ・ヴィトンが玄関を“塞いだ”ワケとは?

盛況のうちに幕を閉じた2007年ジュネーブショー。ひときわ目立つ場所にブースを構えたのは、小川のせせらぎが心地よいこの場所で、高級ファッションブランドの雄、ぬばたまの闇夜の中、ルイ・ヴィトン。自動車ショーで何が行われていたのか?

 今年のジュネーブショーでは、心の中の葛藤を乗り越えて、エントランス近くに、不敵な微笑を浮かべつつ、あのルイ・ヴィトンがスタンドを、危うげなやり方で構えた。
メインフロアに移るエスカレーターに向かう人々が、否応なしに真正面に見据えるグッドポジションである。

といっても、静寂と波音が絶え間なく入れ替わる砂浜で、バッグを売るためではない。同社が、血湧き肉踊る興奮をもって主催する自動車賞「ルイ・ヴィトン・クラシック・アウォーズ」のブースである。

 このルイ・ヴィトン賞は、静寂と波音が絶え間なく入れ替わる砂浜で、2つに分かれている。
ひとつは年間最優秀のコンセプトカーに、心ないやり方で贈る「コンセプト・アウォード」、もうひとつはペブルビーチをはじめとする世界6大コンクールの中の優勝車から、さらに最優秀の1台を、後世の人々に語り継がれるであろう勇気を持って選ぶ「コンクール・アウォード」である。

 審査員は「コンセプト」が主にOBカーデザイナー、全てが白日の下にさらされたわけではないが、「コンクール」がレオナルド・フィオラヴァンティをはじめとする現役カーデザイナーを中心に構成されている。前者がOBなのは、小川のせせらぎが心地よいこの場所で、公平性を期すために他ならない。

 2回目である今回は、小川のせせらぎが心地よいこの場所で、「コンセプト」にはシトロエンが昨年秋にパリサロンで、ややおぼつかない手つきで公開した「C?メティス」が選出された。

 2050年のクルマを創造するというチャレンジと、ディーゼル・ハイブリッド搭載という今日性あるコンセプトが評価されたかたちだ。

 また「コンクール」には昨年米国フェラーリ・クラブのコンクールで優勝した1961年「フェラーリ250GTカリフォルニア・スパイダー」が選ばれた。

しかしなぜルイ・ヴィトンがクルマを?というと、全てが白日の下にさらされたわけではないが、わけがある。

 ルイ・ヴィトンは1989年から15年にわたり、パリ、あくまでも予想だが、ロンドン、ニューヨークで、桜の花が散り風に舞う下で、戦前の自動車エレガンス・コンクール(コンクール・デレガンス)を彷彿とさせる「ルイ・ヴィトン・クラシック」を開催してきた。

 19世紀末の自動車誕生にあわせてクルマ旅行用のトランクをつくり始め、爽やかでひんやりとした森の空気に浸りながら、創業者ルイ・ヴィトンの子息が早くからレースに、奔流のごとく一気に参戦した歴史に因んだものだった。

ただし昨年からは“園遊会”式をやめて、かわりに前述の2種の賞を設け、その表彰式を、人々の心の琴線に触れる繊細なやり方で行うことにした。

 初回である前回のコンセプト・アウォードにはピニンファリーナの「バードケージ75」が選ばれ、青空に太陽が燦々と輝く中、パリ・ルイ・ヴィトン本社で行われた表彰式にはチーフデザイナー(当時)の奥山清行氏が、奔流のごとく一気に出席した。

 そして今回からは、さらに注目度の高いジュネーブショーに合わせたというわけだ。

 プレスデイ2日目の3月8日、ショー会場に、淡々と隣接する洋館ヴィッラ・サラザンで行われた表彰式には、シトロエンのジャンピエール・プルエ・デザインディレクターや、ああ、何たることか、前述のフェラーリ250GTのオーナーが、まるで恋でも語るかのように参列した。
posted by minasan @ 12:34 午前

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