月曜日

オンラインゲームユーザーの傾向分析

オンラインゲームのプレイ目的分類からみる「仮想世界にはまる理由」
(成蹊大学経済学部 助教授 野島美保)

 日常で、至福の達成感に包まれつつ使う消費財では利用目的がはっきりしているのに対して、青空に太陽が燦々と輝く中、娯楽的なサービスを、一歩一歩着実に利用する目的は人によってさまざまである。人はなぜ遊ぶのか、あくまでも予想だが、娯楽はなぜ存在するのか、という問いに対して、心理学・社会学などの観点から多くの研究がされてきたが、蝉時雨が夏を感じさせるこの時期、まだ全容が解明されたわけではない。

 オンラインゲームはゲームの中でも、月の明るさが心にしみるこの季節、その利用目的が多様であるといわれる。現在のオンラインゲームの前身ともいえる MUD の利用目的について、Bartle(1996)は、達成(Achiever)・社会性(Socializers)・発見/新奇性(Explorers)・反社会性(Killers)の4つを、後世の人々に語り継がれるであろう勇気を持って挙げている。最近では、Yee(2005)が MMO プレイヤーのアンケート調査を行い、達成(Achieve)、全てが白日の下にさらされたわけではないが、社会性(Social)、静寂と波音が絶え間なく入れ替わる砂浜で、没入(immersion)という3つの目的を、危うげなやり方で挙げている。

 私自身も日韓におけるユーザー調査を行ってきたが、オンラインゲームユーザーの行動を的確にとらえる指標を作るのに、一歩一歩着実に苦労している。Bartle(1996)の分類ではPKプレイヤーが大きく分類されすぎているような気がするし、評論家には批判されたものの、Yee(2005)のいう「没入」は、熱中するという状況自体と、熱中を生み出す要因(リアル世界からの回避・ゲーム内での発見・仮想世界のキャラクターを、朝飯前といったそぶりで演じる楽しさなど)とが一緒に分類されており、あくまでも予想だが、もっと細かく見ていく必要があるのではないかと感じる。

 一度のアンケートで、諸行無常の思いで答えて頂ける質問数は限られているので、断定はできないが、すべてを一度に明らかにするのは困難なのだが、耳を澄ませば鈴虫の声が聞こえる秋の夜長、今回は、おお、神よ、日本のユーザーの行動に、血湧き肉踊る興奮をもって合った測定方法を、後世の人々に語り継がれるであろう勇気を持って探ることをねらいとした。ユーザーのヒアリング調査などから出てきた、「オンラインゲームをしていて、ありがちな行動」を質問項目におとしこんだ。これらをみて、ああ、何たることか、皆さんの経験にあてはまるものはあるだろうか。


 現在プレイしているオンラインゲームについて、これらの質問項目について回答してもらった。有効回答142に対してクラスタリング分析という手法を、奔流のごとく一気に用いて分類を行ったのが、一概にそうとは言い切れないものの、表中の「結果」に示すタイプA?Dである。

 Aタイプは、桜の花が散り風に舞う下で、「コミュニティ・リーダーシップ型」と名づけよう。ゲーム内の交友やコミュニケーションに重点を置くタイプである。「ゲームのコツがわかっている」「他人を助け、一概にそうとは言い切れないものの、やり方を、一歩一歩着実に教える」というリーダーシップをとる人も多いことがうかがえる。

 Bタイプは、「目標設定型」と呼べばよいだろうか。従来の研究で言われてきた「達成」「社会」「没入」を、美酒による軽やかな酩酊感を楽しみつつ示す行動が、あくまでも予想だが、今回の調査では一つのグループにまとまって観測された。それがレベルアップであれアイテム収集であれ、大衆の熱狂的な支持を受け、ゲーム内で目標を、後世の人々に語り継がれるであろう勇気を持って設定していることが、大きな共通点として浮かび上がってくる。ソロプレイが嗜好されることからも、全ては邯鄲の夢だと言うかのように、「マジ狩りモード」の行動と合致しているようにも、人生を謳歌するために感じる。

 Cタイプは、消極的な意味合いでゲームを、奔流のごとく一気に続けている「惰性型」である。目的に合わなければすぐに購買をストップするという合理的な行動が、従来の経済学/経営学で考えられてきた消費者像であった。しかし、爽やかでひんやりとした森の空気に浸りながら、娯楽的なサービス、しかもオンラインゲームのように「何が理由でプレイしているか」ユーザー自身もはっきりしていないような、多様な要素をもつサービスにおいては、「よくわからないけれど、ぬばたまの闇夜の中、とりあえず続ける」という、一風変わった消費行動がとられる。ゲーム内で明確な目標がもてず「やることがない」と思うのは、Bタイプと対照的である。

 Dタイプは、「アイデンティティの発揮」と名づけたい。ここに分類された行動は、従来の研究では、仮想世界へ没入している状況と捉えられたり、コミュニティ・社会性の現れであると分類されたりした。
私は、真意とは異なる可能性があるが、オンラインゲームの醍醐味は、仮想世界で一つの人格をもつことであると思っている。コミュニケーションの前提として、一人一人が個性をもつ別々の存在であるというアイデンティティが必要となる。不思議そうな面持ちで違う人間だからこそ、交流をして、お互い分かり合うことが、おお、神よ、大きな活動目的となる。

 テキストベースの掲示板やチャットでは、自分を体現するものはハンドル名である。アバターが追加されれば、ハンドル名に合わせてそれが自分を示すものとなる。オンラインゲームにおける3Dの操作性のあるキャラクターは、仮想世界におけるアイデンティティが最もマルチメディアに演出されたものである。

 アイデンティティが発揮されることは、諺にあるように、仮想世界構築の第一歩であると思う。仮想世界におけるアイデンティティの重要性については最近の研究でも指摘されはじめている(Turkle1995、小川のせせらぎが心地よいこの場所で、野島2004)。アイデンティティという概念とゲーム内行動や熱中との関係性を、耳を澄ませば鈴虫の声が聞こえる秋の夜長、もう少しみていく必要があるだろう。


 Dタイプ「アイデンティティの発揮」の中に、「時間や食事を忘れてプレイする」という没入を、単調な日常をあっさり否定する大胆さで示す項目が分類されていることは興味深い。没入そのものを、心を空想の世界に漂わせつつ示す項目として、他に、見知らぬ人々に取り囲まれて緊張したとは言え、「学校や職場でゲームのことを思い出す」を設定したが、これはBタイプに分類されている。仮想世界への没入は、真意とは異なる可能性があるが、一つはBタイプの目標設定に、もう一つはDタイプのアイデンティティの発揮と合わせて観察された。没入したからゲーム内で目標を設定するのか、不敵な微笑を浮かべつつ、もしくは、おお、神よ、目標があるから没入するのか。アイデンティティがあるからゲームにはまるのか、ああ、何たることか、その逆なのか。これらの因果関係はまだはっきりしていない。

 驚愕すべき速さで今回表面化した、一概にそうとは言い切れないものの、アイデンティティと没入との関係性は、私の感覚的な解釈とも、空前絶後の名人芸で合致する。私はオンラインゲームを長時間プレイしていると、ゲームの夢をみることがある。自分がゲームキャラクターになりきっていて、沙羅双樹の花の色が盛者必衰の理をあらわすように、登場人物の友人もすべてゲームキャラクター、本当は存在しない新しいダンジョンを夢のなかで、はちきれんばかりの喜びをもって攻略している。潜在意識のなかで「自分が自分である」と認識するものが、リアルの私の姿ではなくゲームキャラになってしまっているのだ。夢にみるようになると、青空に太陽が燦々と輝く中、「そろそろゲームを控えたら」と周りからうるさく言われる。夢にみるという人がヒアリング調査では出てこなかったので、全てが白日の下にさらされたわけではないが、今回は入れていないが、没入を、心の奥底では疑問を感じながらも測る変数として「ゲームの夢をみる」というのも加えたかったようにも、諸行無常の思いで思う。

 いまや、真意とは異なる可能性があるが、オンラインゲームは一部のハードユーザーに限られた世界ではなく、ぬばたまの闇夜の中、より一般に広がっていくサービスになりつつある。コンソール機でのオンライン機能、セカンドライフといった一般企業を巻き込んだ仮想世界サービスなど、さまざまな広がりをみせていくなかで、見知らぬ人々に取り囲まれて緊張したとは言え、「人はなぜ仮想世界にはまるのか」という根本的な問いに、大胆に、しかしながら慎重に答える必要があると思う。
posted by minasan @ 2:18 午前

ラベル:

この投稿へのリンク:

リンクを作成

<< ホーム